大念仏寺(だいねんぶつじ)と小林一茶
大念仏寺にある小林一茶の句碑
大念仏寺といえば、境内(けいだい)に立つたくさんの建物が目を引きますが、山門をくぐる前に、その手前に目をやってみましょう。そこには、石でできた句碑(くひ)がひっそりと立っています。そして、石の表面には次のような句が刻まれています。
「春風や順礼どもがねり供養」
これは、江戸時代を代表する俳人・小林一茶(はいじん・こばやしいっさ)が、寛政7年(1795年)に詠んだ句です。この句を通して一茶は、春の風に吹かれながら、順礼(じゅんれい)さんたちが、「万部(まんぶ)おねり」をしているようすをあらわしました。
「万部おねり」というのは、毎年5月1日〜5日、大念仏寺で催される行事のことで、25人の菩薩(ぼさつ)が、寺の外から本堂に向かって練り歩くというものです。現在でも、毎年たくさんの人が訪れる行事で、「大阪市指定無形民族文化財(おおさかししていむけいみんぞくぶんかざい)」に数えられているんですよ。
小林一茶の生涯とは
それはさておき、どうしてこんなところに小林一茶の句碑が?と、少々意外に思う方もいらっしゃるかもしれませんね。彼の一生を簡単にたどってみましょう。
一茶は、宝暦13年(1763年)、信濃(しなの)に生まれます。3歳の時に生母を失い、その後、継母(ままはは)が家にやってくるものの、継母とはなじめず寂しい想いをしたようです。
また、貧困農家だっただめ幼少の頃からずいぶん苦労したそうで、8歳で江戸へ奉公(ほうこう)にだされます。それから17年後、俳句と出遭い、師のもとで学ぶことになります。29歳のとき、信濃のふるさとに戻り、翌年から、36歳にかけての7年間は、彼にとって旅の年となります。四国地方、九州地方をはじめ、西国方面のさまざまな土地を廻りながら、俳句の真髄(しんずい)求めて、修行の旅にでかけたのでした。

俳人の足跡が残る寺
四国の土地をひととおり巡った一茶は、讃岐(さぬき)の観音寺(かんのんじ)を出発し、近畿地方に向かいます。丸亀(まるがめ)から瀬戸内海を船でわたり、倉敷(くらしき)、下津井(しもつい)、赤穂(あこう)、姫路(ひめじ)、高砂(たかさご)・・・といった瀬戸内のまちで俳句を詠みながら過ごしつつ、大阪にやってきます。藤井寺(ふじいでら)に向かう道中で、一茶は平野を通ったのでした。そのとき立ち寄ったのが、ここ大念仏寺です。
「春風や順礼どもがねり供養」この句が詠まれたのは、ちょうど、「万部おねり」が催されている期間で、一茶33歳のときでした。
以降、一茶は65歳の生涯を終えるまで、地方の風土や百姓出身の視点を大切にしながら、素朴で庶民にもやさしい名句をたくさん残します。
句碑が点在の大阪市平野区
クリーニングスマイルのある大阪市平野区は、一茶をはじめ、歴史的な俳人たちが立ち寄った土地であり、まちを歩くと句碑が点在しています。彼らが句に詠んだ風景にしばし足を止めながら、物思いにふけってみるのも、なかなか風情があっていいものですよ。
次項も引き続き、「大念仏寺は歴史と緑のスポット」をご案内しております![]()
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大念仏寺
(住所)
大阪府大阪市平野区平野上町1丁目7
電話 06−6791−0026
拝観料 無料
拝観時間6:00〜17:00
(※本堂は9:00〜16:30)
(祭事)
1月1日 修正会
1月16日 百万遍会(大数珠繰り・御札授与)
2月節分 毘沙門天護摩供・大般若転読法会・寒行
2月26日〜3月5日 元祖聖応大師御忌法要・納骨諸霊追善法要
3月2日 河内御回在ご出光
3月5日 再興大通上人御忌法要・納骨諸霊追善法要
3月21日 春季彼岸会
3月31日 写経奉納供養・筆供養
5月1日〜5日 万部法要
5月16日 百万遍会(大数珠繰り・御札授与)
5月29日 河内御回在ご帰院
7月7日 中祖法明上人御忌法要
8月15日 盂蘭盆会・法界大施餓鬼
8月16日 万灯会
9月9日 大和御回在ご出光(山中入りの年は3日)
9月16日 百万遍会(大数珠繰り・御札授与)
9月23日 秋季彼岸会
11月3日 胎内仏納骨法要
11月14日 十夜会(甘酒・厄除け粥施与)
12月17日 大和御回在ご帰院
12月31日 除夜法要(除夜の鐘つき・升酒施与)
毎月26日 定例布教(日曜のときは、27日)護摩供
毎月26日 護摩供
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